既存の文化を編集し、そこから新しい文化を生み出す。
株式会社商業藝術 代表取締役兼社長執行役員

貞廣 一鑑さん

  • PROFILE
  • 1963年広島出身。20代で衣食住トータルプロデュースの事業を開始。斬新でスタイリッシュなカフェやレストランを次々と展開し、2000年には東京進出を果たし、全国各地に事業を拡大している。2012年にCIを行い、社名を株式会社 商業藝術と変更してからも、画期的な新事業を打ち出し続けている。(2017年11月掲載時点)

広島の方なら、「商業藝術」という会社の名前は知らなくても、かつての太田荘の遺構をリノベーションしたビストロ、「45(キャラントサンク)」や地蔵通りの「café citoron(カフェ シトロン)」といったお店の名前に聞き覚えはあるだろう。地元・広島だけでなく、関東、京阪神など、全国各地でショップ展開をはかり、スタイリッシュな空間と時間を創出してきた、株式会社 商業藝術。その立役者である代表取締役兼社長執行役員の貞廣氏は2000年代初頭に一世を風靡したTV番組『マネーの虎』にも出演していたカリスマ経営者である。カフェやレストランといったフィールドを超えて、まちに人が集まる「交流の場」と「文化」を生み出してきた貞廣社長に、ご自身の足跡を振り返ってもらいながら、創業することの面白さやその意義について尋ねてみた。

ひろしまの創業のポイント創業のポイントと広島の魅力

普通の人が何を求めているのか、まず人に興味を持つこと。

多様な人々が行き交う広島は、ビジネスを考える上で魅力的なエリア。

広島は、新規ビジネスのテストにも適した場所。

純粋な情熱こそが創業の原動力!
一歩踏み出せば、必然的に退路は断たれます。

Q. 貞廣社長が創業に至ったいきさつや当時のご苦労を教えてもらえますか?

貞廣:創業時というよりも、今この瞬間の方が苦労しているかもしれませんよ(笑)。僕自身は創業時も今も、大して変わらないと思っているのです。経営の課題も時代によって変わりますしね。
自分の場合、純粋に自分の力で経営者として出発したのは25・26歳の頃でした。なぜ外食事業かというと、ここでビジネスを始めるしか選択肢がなかったのです。自衛官の父親のもと、男手一つで厳しく育てられていて、抑圧的な環境が嫌で高校3年の時に家出をしました。その時、飛び込んだのが飲食業界でした。だから、この商売で食っていくしかなかった。
創業することになったのも、当時、勤めていた会社の本社がいきなりつぶれたからなのです。仲間たちもみんな、明日からどうやってご飯を食べていこうという状態でした。そんなわけですから、もちろん創業のための準備なんて何一つしていませんでした。ただ、会社がレストラン業をやるというので勉強していましたから、もうやるしかなかったんです。
それで銀行から1,400万円という資金を借りたのですが、そんな大金を保証人もなく簡単に貸してくれるわけがありません。周りを見ても保証人になってくれそうな人はいない。いろいろ考えた挙げ句、妻の父親に頭を下げて保証人になっていただきました。実を言うと、義父とはかつて結婚を反対されてギクシャクした間柄だったのですが、その時は黙ってハンコを押してくれました。義父は金融関係で働いていた方なので、それだけの大金を借りることがどれほど怖いことか、よく知っていたはずです。だから、あそこでよくハンコを押していただけたなと感謝しています。創業するまでにさまざまな課題はありましたが、苦労というと、あの時の経験が一番ですね。

Q. 外食産業を目指す方は多いものの、創業となるとなかなか決心が付かないようですが。

貞廣:今は、外食産業にとって難しい時代ですからね。その中で、自分が正しいと信じたことをやりはじめれば必然的に退路が断たれますが、その時の思いが純粋でなければ、基本的に何をやってもうまくいきません。でも外食産業の難しさはさておき、若い方たちには臆せず一歩を踏み出していただきたいですね。
現在、この業界にはわれわれのような外食ベンチャーや専門店がある一方で、全国をマーケットにするチェーン店があります。そうしたカテゴライズに関係なくこれから残っていくのは、本当に「おいしくて、正しい店」しかないと私は思っています。
もちろん、生き残りを懸けた過当競争は熾烈になるでしょう。人件費や家賃など固定費の問題、労務管理、あるいは食材供給や安全性など、考えなければならないことがたくさんあります。これらの問題をクリアした上でどこで勝負するかということになると、相当なアドバンテージと自信がないと、せっかく挑戦しても後悔することになるかもしれません。

文化を編集・再生していくことで、
人が集まる「社交場」を生み出していく。

Q. 業界的に厳しい状況の中、御社はどんな戦略を取られているのでしょう?

貞廣:そもそも外食というくくりで、ビジネスをしているつもりはないのです。ビジネスのドメインとしては、どちらかというと「リカルチャー(再生文化)」もしくは「カウンターカルチャー(対抗文化)」だと考えています。外食産業の中でも、お父さんやお母さんがしっかりのれんを守っているような専門店と競合するつもりはないですし、そうしたお店の競合店になれるとも思っていません。リカルチャー、カウンターカルチャーとは既存文化の編集であり、そこから新しく生み出すことだと思っています。
さらにビジネスの軸にしているのは、「人が集まる場所をつくろう」ということです。「クロッシング・ビジネス」という言葉で表現しているのですが、人が集まる場所には空間を彩るインテリアやアートがあり、書棚があり、音楽がある。もちろんそこには食もある。今の日本では、そうした事業形態を外食産業というくくりでカテゴライズしがちですが、われわれとしては「人が集まる場所をつくろう」という思いが中心なのです。だからといって食の部分をおろそかにしているわけではありません。「場」を形成するどのエレメンツにもしっかり力を注ぎながら、人が集まるクロッシング・ポイントをより多くの方へ提供したいのです。
さらにもう一つ大切にしているのは、富裕層ビジネスやデフレビジネスではないということです。ある特定の層にアプローチするのではなく、ごく普通の一般の方々、それこそ老若男女、国籍を問わず、いろいろなお客さまに来ていただいて、楽しんでいただくということです。

Q. 外食産業というより、場の創出を通して「文化」を生み出しているようですね。

貞廣:そうですね。ある意味、文化を売っているともいえますね。ビジネスをやっていくにはクロッシング・ポイント、社交場しかないのではと思っています。創業した25年から30年くらい前には、外食が急成長した時期もあり、すごい勢いでマーケットを拡大する経営者もいました。しかし株式市場を見てもらえば明らかなように、結局そうした企業もいずれは縮小傾向になっていきました。では10年後、20年後、生き残っていくには、どこに照準を合わせればよいかと考えた場合、われわれとしては「社交場」をつくるしかないと考えたのです。
そういう意味で言うと、この店(当日インタビュー会場として提供していただいたサパークラブ「EIGHT」)はとても象徴的な店舗ですね。ここはかつて映画館だった場所で、僕らはそうした文化の記憶が刻まれた場所に、「home」をコンセプトとした社交場を新たに再編集(リカルチャー)したのです。僕らが若い頃に比べると、今の日本は、人が出会いにくくなっていると思いませんか。だから、人が出会う社交場は必要なのです。この店はこれまであったクラブやディスコ、ダンスバーといったものではない。むしろ、それらの対極にあるカウンターカルチャーなのです。
ロケーションとしては流川に近いので、10代のおとなしめの人たちが、このエリアに足を踏み入れるのは少しおっかないかもしれない。でもそういうところにもカウンターしていきたいと思っているのです。おかげさまでオープン当日は、若い世代はもちろん着物姿の老婦人や海外からのお客さまなど、いろいろな方たちに訪れていただき、僕らが理想とする光景をこの場で見ることができました。

ビジネスの基本は「人」に興味を持つこと。
「人」の先に求める答えがある。

Q. これから創業する方が戦略を練っていく上で、何かアドバイスはありますか?

貞廣:今朝、たまたまテレビにダイソーの矢野社長が出ておられて、商売でもうけようと思うことこそおこがましいとおっしゃっていました。矢野社長はもうけなんてどうでもいいと思ったから、100円ショップを始められたそうです。僕もどちらかというと、矢野社長のケースに近いかもしれません。なぜ僕がセレブビジネスやデフレビジネスをやらないかというと、ごく一般的な普通の人間で、普通の人の中で、普通に育ってきたからだと思います。普通の人が何を求めているのか、何となく分かる気がするからです。ビジネスのヒントはまず人に興味を持つことではないでしょうか。

Q. 人に対するビジネスだから、人を見ていないと駄目ということですか?

貞廣:そうだと思います。僕の中にそういう思いがあるから、われわれの会社は人がきちんと育つ会社でありたいというか、学校のような会社でありたいと思っているのです。とはいえ、とあるIT企業の社長と話していたら、学生たちが会社説明会で「この会社では何を教えてくれるのですか?」と一様に聞くらしいですね。そこは、会社説明会で高学歴の就職希望者が列をなすような会社ですが、最近の若い世代は受け身なんでしょうね。そもそも就職する・しないっていうのも、就職した時点で受け身なのかもしれません。こんなにもベンチャービジネスが盛んな時代なのに、そこには「創業」という選択肢もないのです。
僕の場合、安易に「教えてくれ」と言われたら「教えることなんかないよ」って答えるし、「将来カフェをやりたいし、貞廣さんみたいになりたいのです」って言われたら、「今やればいいじゃん!」って答えます。あまりにも正直に答えちゃうから、新卒の説明会には出ないようにしています(笑)。周りには嫌われ者のボスだからと言っているのですが、その分スタッフの子たちがちゃんと自分の頭で考え、現場をうまく切り盛りしてくれています。ボスは嫌われ者なのに、スタッフはよくできた子ばかりなんですよ。会社って本当によくできていますね(笑)。

冷静な判断力を持った市場だからこそ、新規事業は必ず広島から始めます。

Q. ところで「広島」という市場の可能性を、貞廣社長はどう評価されていますか?

貞廣:僕は、広島の人たちって、すごく優秀だと思っているのです。何をもって優秀かというと、広島にはシャイな人が多いですよね。シャイってことは、繊細でもあるということだから、音楽やアート・シーンで優れた人をたくさん輩出しているし、感覚的にとても優れたものを持っている人が多い地域だと見ています。マーケットとしてもポテンシャルを秘めているし、伸びしろが十分開拓されていないところがもったいないくらいです。地の利や観光の面においても、多様な人々が行き交うクロス・ポイントなので、人が集まる場所をつくろうとする当社にとっては、ひときわ魅力的なエリアですね。
新規事業を興す際は、必ず広島からスタートしています。それは広島が好きだから、広島に思い入れがあるからというわけではなく、冷静に客観的に受け止めてくれる広島のお客さまは、ビジネスをテストする上で、とてもありがたいのです。広島で手がける新規事業には、僕も必ず関わっています。


Q. ビジネスの可能性を読む上で、何らかの指針をくれるまちなのでしょうか?

貞廣:そうかもしれませんね。広島の人々が育んできた人間性に起因しているのでしょう。シャイで、繊細で、地頭の良い人が多い。その上、真面目なんですよ、広島の人は。
今、僕の友人が袋町公園でトランクマーケットを行っていますが、あれもすごくいいですよ。既存のイベントのような形ではなく、まちなかに人を呼び戻そう、にぎわいを生み出そうとしているわけですが、そういうムーヴメントが起こせるまちということに、広島のパワーを感じました。そこからも、また新しいビジネスモデルが誕生するかもしれませんね。


Q. 最後にこれから創業される方にメッセージをいただけますか。

貞廣:今の人はとっても優秀だと思います。僕は今の若い人たちこそ、僕にとっても自社にとっても、最大のライバルだと思っています。逆の言い方をすれば、これから創業する人にとっては、すごくチャンスでもあります。会社の規模がどうとか、売り上げがいくらといったことに関係なく、経営者として長年やってきた僕自身が、これから創業しようとする人がすごくおっかないです。その反面、若い人たちの潜在的な能力や情熱に期待しているし、胸を貸してほしいとも思っています。自信を持って一歩を踏み出してほしいし、同じ土俵に上がったなら、経営者同士で遠慮なく殴り合いをしましょう(笑)!

株式会社商業藝術


【創業】平成 5 年 1 月
【所在地】代官山本社:東京都渋谷区代官山町 1-6 広田代官山ビル 7F
     広島事務所:広島県広島市中区上幟町 7-1 Hotel FLEX3F

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